マタギの世界・ブナの森の狩人たち(石川 純一郎)
江戸後期の菅江真澄(1754〜1829)の筆になる「秀酒企乃温壽(すすきのいでゆ)」に、マタギ の習俗に関する最も古い文献の資料で、しかも狩猟生活の面からマタギ の生態を極めて感銘に伝えている。即ち、「マタギ は冬山に入ってカモシカとクマを捕獲する。大小の山々を駆け巡り、場合によっては雪中で野宿する。その時の非常食には腰に巻いた布袋からカネモチ(粢)を取り出して食べる。山中では米をクサノミ、クマをイタチまどという忌詞(いみことば)を用いる、、、、」とある。
マタギ 集落の分布
マタギ は主に関東以北の山間部に点々と集落をかまえ、冬季間に大型獣を捕獲する狩猟者集団であり、狩猟儀礼を豊富に伝承している。
マタギ 集落
マタギ 集落は、秋田県を中心に北は下北・津軽から南は奥会津・信越国境地帯まで分布している。なかでも秋田県北秋田郡阿仁町根子や新潟県岩船郡朝日町三面は伝統的なマタギ 集落であり、前者はクマ猟、後者はカモシカ猟を得意としてきた。
春から秋にかけては林産物採取や川漁・農耕を事とし、冬の間はもっぱら狩猟を事として集団で出猟する。槍一筋、山刀一挺でもクマに立ち向かうという勇猛果敢な山の猛者である。同時に、山中にあっては常に山の神を斎き(いつき)、自然界や野獣の動静に敏感な狩人でもある。
東日本のマタギ に対して、関東以南の中部・西南日本には一般に「狩人」と呼ばれる猟師がいる。彼らは山岳斜面に集落を構え、耕作期は畑作農耕に従い、冬季間は主にシカやイニシシなどの大型獣を、常に猟犬を使役して単独または集団で捕獲する猟師である。
彼らの伝統的な生活様式の基調は、焼畑農耕を含む畑作農耕である。山腹、山麓の緩斜面に小集落を形成して周囲に園圃をめぐらし、遠近の山中に焼畑を開く。園圃には主にムギや野菜を作り、焼畑には穀物を作る。両者は相補完しあう関係にある。
クマとマタギとブナの森
マタギを「山の民」または「森の民」と呼ぶなら、西南日本の猟師は「焼畑の民」と呼ぶことができよう。しかも、マタギ生活圏はブナ林帯、焼畑の民の生活圏はシイなどの照葉樹林にある。さらに両者の狩猟の対象となる動物(クマとイニシシ)の生息圏を重ねると、見事な整合性が浮かび上がってくる。ここからマタギの自然物採取と狩猟を基調とする生活様式をブナ林帯文化と規定することも可能であろう。
ブナ林帯がクマの生息を実現している第一の条件はそれが提供する食物であり、反対にイノシシの生息が見られないのは当該地域の豪雪にあろう。いわゆる冬眠という習性を持たないイノシシは常に餌をあさらなければならないが、豪雪はその働きを阻む。
ブナ林を構成しているのはブナ、ナラ、クリ、ミズナラなどである。これらの実がクマの主要な食物となっている。他にもヤマブドウやアケビなどがある。晩秋とか春先には落葉を掻き分けて地上にこぼれたブナの実をあさる。これをホリバミ(掘食)という。初秋のころは樹上で枝をへし折ってナラの実を食む。これをオリバミ(折食)という、クマのついた木は丁度棚をかいたようなありさまになっている(これを熊棚という)このようにクマの生息はブナ林の恵みに負っている。
マタギはアイヌか
そうだとすれば、マタギ はそのエミシの末裔であろうか。その間に血のつながりがあると仮定した場合に二つの問題がある。
まず、エミシが狩猟民であれば、マタギの狩猟伝承のなかに北方狩猟民文化が流露しているはずである。確かにマタギの伝承のなかには狩猟民文化に通ずる要素が少なくない。例えば、犬を「セッタ」、水を「ワッカ」などという狩詞はアイヌ語からきているといわれる。又、捕獲儀礼の際に獲物の内臓の一部を神に捧げるなどの習俗も類似している。ただし、このような原始的な習俗はあえて北方狩猟民文化に属さしめなくても、人類共通の普遍的な伝承であるといえそうである。
さらに、北方狩猟民たるアイヌの文化の核心に位置するというべきクマが、川上の高嶺にある神々の世界から祭りを享けに来訪する、という動物の主の観念と表象、或いは動物の骨からの復活というか観念と表象、この二つがマタギの伝承には認められない。
そればかりか、わが国固有の民族神たる「山ノ神」を狩猟神と仰ぎ、先祖を猟人神ないしは職業祖神と仰いでいる。次にマタギの狩猟技術や伝承には鎌倉期以降の狩の作法や民族宗教の影響が濃厚である。
狩座んおけるマタギの組織的な動きは、大名狩りによって完成された軍事的な狩猟法であり、事実マタギの狩詞にはアイヌ語が多いとはいえ、足利義満の時代に成立をみた武将のための狩猟秘法書「狩詞記」中のある。
マタギ集団の成立
こうした点から、職業集団としてのマタギの成立は中世のころではないかと見られる。又、日光山、高野山をはじめ、諏訪神社などのいわば民族宗教が支配的で、その源流は結局山の神信仰にある。
要するにマタギは、日本民族の山ずみの伝統的な生活様式を色濃く伝承している人たちである。
マタギはこれまでの歴史的過程のなかで、人種的にも体調的にも文化的にも信仰的にもあらゆる分野にわたって混淆・習合しつつ今日に至って入るものの、山ずみの生活様式を基調とした古代エミシの系譜につながるものといえよう。
マタギ村の生活は四季にのっとっている。春は山菜採取、夏は農耕、秋は木の実やキノコの採取、冬は狩猟というのが大まかながら基本的な生活パターンである。しかも、農耕は一部焼畑を行いながらも、稲作に異常な執着を見せている。それが、高冷地での開田と水稲栽培に現れている。又、春から秋にかけて川猟をする。
(「ブナ帯文化」マタギの世界抜粋 石川 純一郎)