能登半島

   能登半島

   能登半島 のとはんとう 石川県北部、東側に富山湾と七尾湾をいだいて日本海に突出する半島。石川と富山の県境をなす宝達丘陵(ほうだつきゅうりょう)南部の三国山(324m)を基点とし、北方の猿山岬(さるやまみさき)まで約65km、さらに東北東に珠洲岬(すずみさき)まで約60kmのびる。日本海側で最大の半島。

白米の千枚田

平野のとぼしい能登半島の外浦では、輪島市高洲山の山すその傾斜地から、波打ち際まで段々に切り開いた棚田がつくられている。白米の千枚田とよばれる平均6m2ほどの水田で、その数約1000枚という。Encarta EncyclopediaJTBフォト/田北圭一

  半島北側の旧鳳至(ふげし)と旧珠洲両郡域を奥能登、南側の旧鹿島と旧羽咋(はくい)両郡域を口能登(くちのと)と通称する。また、奥能登と口能登北部の日本海側を外浦、七尾湾と富山湾側を内浦ともよぶ。

  半島先端部の奥能登丘陵は、主稜線が北にかたよるため日本海側に急傾斜し、曽々木海岸などの岩礁海岸や海食崖がつづく。逆に南斜面はなだらかで、準平原と数段の海岸段丘が発達する。穴水町と輪島市の市街地をむすんだ南西側は標高200m内外の中能登丘陵で、南には邑知潟(おうちがた)地溝帯がはしる。この地域も日本海側には能登金剛の海食海岸がつづき、七尾湾側は能登島もふくめて、穏やかな屈曲をえがく沈水海岸となっている。

  口能登では、邑知潟地溝帯に沖積地と干拓による水田地帯が広がり、日本海沿岸には千里浜(ちりはま)を代表とする砂丘が発達し、南の内灘砂丘(うちなださきゅう)につづく。半島基部を形成する宝達丘陵は第三紀の堆積岩類からなり、最高峰の宝達山(637m)や北方の石動山(せきどうさん)は差別浸食をうけた花崗岩がけわしい山容をみせる。

能登金剛、機具岩の夕景

能登半島中央部の西岸、富来町の福浦港から北の関野鼻にかけての海岸は、石川県屈指の景勝地、能登金剛である。断崖絶壁や海岸段丘が日本海の荒波によって浸食されてできた奇岩怪石など、あらあらしい景観がつづく。この機具岩のほか、巌門の洞窟が有名である。Encarta EncyclopediaJTBフォト/市川傳

  積雪は北陸地方としては比較的少ない。対馬海流にあらわれる海岸にはタブやシイなどの暖帯樹林がみられる一方、ハマナスなど寒地性植物も共生する。夏季は水不足となることも多く、各地に溜池が発達する。

  農林業では稲作のほか葉タバコ栽培が盛んで、口能登の砂丘地帯では果樹や根菜類の栽培がおこなわれる。肉牛飼育、酪農も盛んで、林業ではスギのほか、アテ(アスナロ)の植林を導入。漁業では、沿岸と近海、遠洋漁業によりブリ、アジ、イワシ、イカ、カニ、アワビなどの漁獲があり、水産加工も盛んで、栽培漁業もおこなわれている。

  地場産業としては伝統の輪島漆器(輪島塗)が名高く、口能登では繊維産業が盛ん。七尾市と珠洲市には珪藻土工業の伝統があり、コンロや陶器の製作をつづけている。西海岸の志賀町では、1993年(平成5)、北陸電力の原子力発電所が操業を開始した。

  縄文時代から、能登半島には大規模な集落があったと考えられている。能登町の真脇遺跡からは大量のイルカの骨および土器が出土し、注目をあつめた。江戸時代には外浦の輪島港や福浦港(現、富来町)が西廻り海運の拠点となり、七尾港はその風待ち港としてさかえた。

  外浦や内浦、南西部の砂丘海岸を中心とする地域が、1968年(昭和43)に能登半島国定公園に指定された。和倉温泉や、松本清張の「ゼロの焦点」で有名になった能登金剛ほか、多彩な海岸美をもとめて、年間を通じて多くの観光客がおとずれる。2003年(平成15)7月には輪島市、穴水町、能登町にまたがる木原岳とその周辺が造成されて能登空港が開港した。