白神山地

       白神山地

   白神山地 しらかみさんち 青森県と秋田県の県境に位置する山地で、出羽山地の北端部にあたる。面積は4万5000haから24万haまで諸説あるが、環境省では13万haとしている。最高峰は標高1250mの向白神岳(むかいしらかみだけ)。ほかに白神岳(1235m)、二ツ森(1086m)、青鹿岳(1000m)、冷水岳(1043m)などがつらなる。白神山地は岩木川、赤石川、追良瀬川(おいらせがわ)、笹内川、津梅川などの津軽地方の主要河川と、秋田県側の米代川水系の支流の源流部である。

白神山地

  白神山地は、平均傾斜度45度という急峻(きゅうしゅん)な山地で、いりくんだ深い谷には追良瀬川(おいらせがわ)にかかる白滝(高さ100m)、笹内川にかかる魚泊の滝(高さ20m)など、落差の大きな滝が数多くみられる。全体で13万haにおよぶ広大な山地のうち、ブナの原生林1万6971haが1993年(平成5)に世界遺産として登録された。

  1993年(平成5)、ユネスコによって1万6971haが世界遺産(自然遺産)に登録された。世界遺産の登録区域は、青森県の鰺ヶ沢町、深浦町、西目屋村、秋田県の藤里町の4町村に広がり、これは林野庁が営利目的の森林施業を禁止している森林生態系保護地域と同じである。

  白神山地の山中には全長約60kmにおよぶ弘西林道が通じている。林業開発と地域振興策として建設されたこの林道で、ブナの原生林を身近に観察できるようになった。その一方で、自然破壊がすすみ、林道沿線の森林は皆伐されたため、土砂崩れや崩壊が頻発するようになった。赤石川は以前は全国でも名高いアユの生息する川だったが、上流部に弘西林道が開通した直後から、土砂が流入するようになり、漁業は大打撃をうけた。汚濁は河川だけでなく海にまで達し、被害は沿岸漁業にまでおよんだ。

  世界遺産への登録によって、開発は大幅に制限されている。しかし、世界遺産を一目みようとする観光客や登山者の増加にともなって、高山植物の盗掘や生態系の破壊などの問題も生じはじめている。核心地域への登山者については、秋田県側は原則的に入山禁止としており、青森県側では森林管理署や役場などへ入山申請する届け出制の入山規制をおこなっている。

  鰺ヶ沢町 あじがさわまち 青森県の津軽地方西部、西津軽郡の町。北東は弘前市とつがる市、南は白神山地で秋田県に接し、北は日本海に面する。町域は南北に細長いが、ほとんどは山地である。白神山地を水源とする赤石川沿いに狭い低地がある。北部の海岸線にそってJR五能線と国道101号がとおる。1889年(明治22)町制施行。面積は342.99km2。人口は1万4072人(2003年)。

  縄文前期の浮橋貝塚があり、大館森山遺跡からは平安時代と推定される住居跡と製鉄炉4基が確認された。中世には、この地方は十三湊(とさみなと:青森県五所川原市)を根拠地として海上交通で活躍した安東氏の支配下にあったと思われ、安東氏の時代にきずかれたとつたえられる館跡がある。1491年(延徳3)に大浦光信は種里(たねさと)に居城したという。大浦氏の子孫はのちに津軽氏を名のり、弘前藩を確立したので、当地は弘前藩発祥の地とされる。

  江戸時代を通じて鰺ヶ沢湊は青森とともに両浜とよばれた重要な港で、藩の奉行所がおかれ、西廻り海運の船が入港した。藩の米蔵がたてられ、大坂廻米の大部分はここからつみだされた。また、上方文化の津軽に流入する窓口でもあった。しかし、明治以降は青森港が発展し、鰺ヶ沢の港は不振におちいる。1893年(明治26)には西津軽郡役所の木造村(きづくりむら:現、つがる市)への移転に反対し、暴動がおきた。ニシンやハタハタなどの漁獲量が減少している現在は、漁港からふたたび商港としての整備をいそぎ、また山麓(さんろく)の開発などに発展を模索している。

   五所川原市 ごしょがわらし 青森県北西部、津軽平野の中央部にある市。東は青森市、西はつがる市に接する。中泊町をはさんだ飛地の市浦(しうら)地域は津軽半島の北西部にあり、西は日本海に面する。

  東に大倉岳(677m)や梵珠山(ぼんじゅさん。468m)などの津軽山地(中山山脈)が南北にのび、西に津軽平野が開ける。西端を岩木川が北にながれ、各所に灌漑用の溜池がみられる。市浦地域の北には青森県の自然環境保全地域に指定されている四ツ滝山(670m)がそびえ、南に岩木川がそそぎこむ十三湖がある。中心市街地は南西部の岩木川右岸の自然堤防上に広がり、南東部では青森市に隣接するため、宅地化がすすんでいる。

  JR五能線と津軽鉄道が五所川原駅で分岐し、国道101号と339号が交差。津軽自動車道(101号)は浪岡インターチェンジで東北自動車道に直結する。市浦地域には国道339号が通じる。

  南部市域は岩木川中流の平坦(へいたん)な低湿地に広がり、農業は稲作が中心で、水田単作地帯になっている。リンゴ園は津軽平野南部にくらべて少ないが、リンゴジュースやジャムの工場がある。野菜のハウス栽培や肉牛などの畜産もおこなわれている。林業は日本三大美林のひとつの青森ヒバを産し、加工するが、規模は小さい。漁業は日本海での沿岸漁業のほか、十三湖でのヤマトシジミ(→ シジミ)が特産品。工業では青森テクノポリスハイテク工業団地漆川で、半導体製造などの工場が操業する。

  金木川の中流域や藤枝溜池周辺の台地、十三湖周辺などには旧石器時代以降の古代遺跡が多数ある。十三湖は、十三潟ともいい、中世には「とさ」ともよばれた。鎌倉〜室町時代には、日本海貿易の拠点港である十三湊(とさみなと)を中心に、豪族安東氏の本拠地としてさかえた。近年の発掘調査により、安東氏の本拠と思われる領主館や家臣の屋敷、町屋、寺社など中世国際港湾都市を思わせる遺構(→ 遺構と遺物)が発見されている。江戸時代には、弘前藩(津軽藩)が用排水路をもうけるなど新田開発を積極的にすすめ、広大な田地が生まれた。

   金木町(かなぎちょう)には作家太宰治の生家、旧津島家住宅の斜陽館(→ 斜陽)がある。国の重要文化財で、太宰治記念館「斜陽館」として全国からファンがおとずれている。また、金木町は津軽三味線(→ 三味線)の元祖「神原の仁太坊(にたぼう、本名は秋元仁太郎)」の出身地であることから津軽三味線発祥の地とされ、近くには生演奏が楽しめる津軽三味線会館がある。南西部の湊地区には津軽藩の郷士豪農の旧平山家住宅があり、主屋と表門は国の重要文化財。毎年8月には五所川原立佞武多(たちねぷた)が開催される。立佞武多の館では、常時大型ねぷた(→ ねぶた)が3台展示されているほか、製作過程をみることができる。冬には津軽鉄道のストーブ列車がはしり、地吹雪ツアーが人気をよんでいる。サクラの名所の芦野公園や、中の島ブリッジパークなどの観光施設も整備されている。

  ねぶた 8月(昔は旧暦7月)1日〜7日に、青森県津軽地方でおこなわれる七夕の行事。ネムリナガシ、ネムッタナガシとよばれる行事が、東北各地でおこなわれているが、いずれも収穫の秋を前に仕事のさまたげになる睡魔をおくりだす習俗からきたものであろう。

  青森や弘前のものはとくに有名で、夏の観光行事として全国に知られる。ねぶた(弘前ではねぷた)とよばれる、木や竹でつくった枠に紙をはった巨大な灯籠(とうろう)に灯(ひ)をともし、市中をひきまわしたあと、海や川にながす。ねぶたには金魚形の金魚ねぶた、扇型の扇ねぶた、人物を形どった組みねぶたなど、さまざまな種類や大きさがある。ねぶたにえがかれる絵は、武者や歴史上の人物などがこのまれる。

  青森のねぶたは、50名前後の若者によってかつがれ、その前には太鼓や笛、ハネトとよばれる踊子たち100名前後が一団となってとびあるく勇壮なもの。

    西目屋村 にしめやむら 青森県南西部、中津軽郡の村。通称「目屋」。北東部は弘前市の飛び地に接する。北部は岩木山のふもとにつづき、南西部は秋田県境となる白神山地の一角を占める。標高1000m級の山々にかこまれた山峡の村で、村域の9割以上が山林原野である。平坦地は岩木川沿いにわずかにみられる。1889年(明治22)村制施行。面積は246.58km2。人口は 1800人(2003年)。

   山間地の特性を生かした農林業と観光が、村の基幹産業。古くは炭焼きが盛んだったが、近年は、マイタケ栽培をはじめ、樹皮を原料にした堆肥作りや木工品作りもおこなわれている。また、村内にわく温泉の熱を利用し、ネギ、サラダ菜、レタスなどの水耕栽培にもとりくんでいる。村域は有数の鉱山地帯でもあり、尾太鉱山(おっぷこうざん)を中心に明和年間(1764〜72)と昭和40年代に最盛期をむかえたが、1978年(昭和53)に閉山した。

   1960年岩木川の上流に目屋ダム(美山湖)が完成し、源流にあたる暗門の滝などとともに観光地として整備されている。とくに93年(平成5)に世界遺産に指定された白神山地は、ほとんどの部分がコア・エリア(核心地域)として入山が制限されているが、赤石渓流暗門の滝県立自然公園を中心とした部分は入山が可能。これまでの目屋温泉は、白神温泉郷と名をかえて整備された。