渡島半島

    渡島半島

渡島半島 おしまはんとう 北海道南西部、西に日本海、東に内浦湾(噴火湾)をいだいて津軽海峡につきでた半島。地形的には東岸の長万部(おしゃまんべ)と西岸の寿都(すっつ)をむすぶ黒松内(くろまつない)低地帯以南をさし、地質学、生物学上は道央の石狩、勇払(ゆうふつ)低地帯以西をいう。南部は、函館湾をいだくかたちで西の松前半島と東の亀田半島にわかれる。

松前半島の大千軒岳(1072m)から北へ黒松内岳(740m)までつづく脊梁(せきりょう)山地は東北地方の延長部にあたり、古生層の基盤の上を緑色凝灰岩などの新第三紀層がおおう。北西部の狩場(かりば)山地は第三紀末〜第四紀更新世に噴出した狩場山(1520m)を主峰とする火山群からなり、山腹には千走(ちわせ)川などの浸食による深い峡谷がみられる。半島南東部につらなる駒ヶ岳、横津岳、恵山(えさん)の各火山が亀田半島の尾根を形成する。

道内ではもっとも温暖で、ブナ、トチノキなどの温帯林や竹林がみられ、石狩、勇払低地以東の北海道本体部とはことなる植物相をしめす。

本州からの回廊部にあたり、室町時代に東北地方から和人(本州系日本人)の移住がはじまっている。江戸時代には松前藩を中心に交易と開拓がすすめられ、日本海沿岸のニシン漁、亀田半島沿岸のコンブ漁が盛んになり、函館平野などでは稲作もはじまった。現在、農業は函館平野と後志利別(しりべしとしべつ)川流域での稲作のほか、火山性の台地や海岸段丘で畑作と酪農が盛ん。漁業は、ニシン漁の衰退後、津軽海峡でのイカ漁やコンブ漁、内浦湾沿岸でのホタテガイ養殖が中心となっている。

駒ヶ岳とその南麓(なんろく)にある大沼などの湖沼群は道南屈指の景勝地で、1958(昭和33)に国定公園に指定された。ほかにも、日本海側の狩場茂津多(かりばもった)、檜山(ひやま)、松前半島沿岸の松前矢越、亀田半島先端部の恵山の各道立自然公園がある。函館山の眺めと五稜郭などの史跡がある函館市にも、道外から多くの観光客がおとずれる。

津軽海峡 つがるかいきょう 北海道と本州をへだて、日本海と太平洋をむすぶ東西約100km、南北2050kmの海峡。北は函館湾、南は平舘(たいらだて)海峡をへて陸奥(むつ)湾に通じる。東部は250mをこえる深さになるが、西側には津軽半島と松前半島をむすんだ水深130mほどの地帯があり、青函(せいかん)トンネルはその浅い部分を通っている。最深部は449m

日本海側から対馬(つしま)海流がながれこみ、海峡の東で親潮と合流する。沿岸には魚介類が豊富で、日本海と太平洋を回遊するマグロ・イワシ・サケなどの定置網漁がおこなわれる。イカ釣り船の漁火(いさりび)は風物詩として知られ、アワビ・タコ・ウニ漁のほか、ホタテガイの養殖が盛んである。

江戸時代までは津軽半島の三厩(みんまや)と渡島(おしま)半島の福山(松前)間が船でむすばれ、松前藩の参勤交代にも利用されていた。1891(明治24)に東北本線が開通してから、青森〜函館間に航路がひらかれ、1908年からは青函連絡船が就航した。54(昭和29)の洞爺丸(とうやまる)台風では青函連絡船5隻が沈没し、最大の惨事となった洞爺丸の沈没では死者・行方不明者1139人をだした。88年に青函トンネルが開通、JR津軽海峡線により本州と北海道が直接むすばれ、連絡船もなくなった。途中に2つの海底駅がある。青森・函館間にはフェリーも通じている。

内浦湾 うちうらわん 北海道南西部、渡島半島の東側にある湾。別称を胆振(いぶり)湾、旧称を噴火湾ともいう。江戸後期に、湾岸にある駒ヶ岳や有珠山の噴煙をのぞんだイギリス人船長ロバート・ブロートンが、噴火湾(volcano bay)とよんだといわれる。

湾口は室蘭市絵鞆(えとも)半島のチキウ岬と駒ヶ岳北東麓(ほくとうろく)の砂崎をむすぶ約30kmで、湾の形は周囲約150km、直径約50kmのほぼ円形である。湾内の周辺部分は急傾斜だが、中央部分は平坦で、水深は60100mと比較的浅い。湾岸は海食崖が発達しているため、平地が少ない。

国道5号と37号、JR函館本線、室蘭本線にくわえ、道央自動車道が開通するなど、湾岸は函館市と道央をむすぶ北海道の交通の動脈となっている。しかし、北岸の静狩(しずかり)〜豊浦間は、断崖地形のため海岸沿いに道路がなく、静狩峠と礼文華(れぶんげ)峠をこえる交通の難所となっている。

古くから水産資源にめぐまれ、第2次世界大戦以前はイワシが大量に水揚げされた。ほかにもサケ、マス、イカ、カレイなどの水揚げがあるが、現在は森、八雲、豊浦を拠点とした沖合底引き網漁がおこなわれるようになった。商品価値の高いホタテガイの養殖も盛んにおこなわれている。

駒ヶ岳 こまがたけ 北海道南西部、渡島半島東部に位置する火山。標高1131m。全国各地に駒ヶ岳があるため、北海道駒ヶ岳あるいは渡島駒ヶ岳として区別する。渡島富士ともよばれる。

成層火山で、頂上部には東にひらいた直径2kmほどの馬蹄形の火口原が、北側には砂原岳(さわらだけ。1113m)がある。火口原の中央に、1929(昭和4)の噴火で生じた直径約250mの昭和四年火口がある。火口原を北西から南北に42年の水蒸気爆発で生じた亀裂がはしり、北西端に爆裂火口がある。大沼湖畔から南側中腹にかけてダケカンバなどの落葉広葉樹林が広がる。標高800m以上は高山植物帯となり、ウラジロタデ、ヒメスゲなどの群落がみられる。

登山やハイキングの好適地で、道南の一大観光地となっている。山麓は別荘地やゴルフ場として開発されている。南麓の大沼、小沼、蓴菜沼(じゅんさいぬま)などはせき止め湖で、湖畔には森林公園やキャンプ場がある。

有史以来の記録では、1640(寛永17)1765(明和2)1856(安政3)に大噴火している。寛永の噴火では山頂部が崩壊し、岩屑雪崩(がんせつなだれ)となって山麓をおそい、一部は内浦湾にまで達して津波をひきおこし、約700人が溺死(できし)したといわれる惨事となった。安政の噴火では軽石流(火砕流の一種)が発生、温泉宿を直撃し、二十数名が犠牲になった。近年は1996(平成8)98年、2000年に小噴火している。