奈良東大寺宝物 正倉院 シルクロードの東端

    正倉院

     正倉院宝庫  

    奈良時代の校倉造建築の代表例。北倉と南倉が校倉造で、中央部は板倉。756年(天平勝宝8)、光明皇太后が聖武天皇の遺愛品を東大寺盧遮那仏(るしゃなぶつ)に寄進したことにはじまる。

東大寺大仏殿裏にある、宝物倉庫を中心として塀でかこまれた一角。高床式校倉(あぜくら)造の宝物倉庫は内部が北倉・中倉・南倉の3室にわかれている。

756年(天平勝宝8)6月21日、光明皇太后は夫・聖武天皇が生前大切にしていた刀剣・調度品・楽器など六百数十点を、東大寺盧遮那(るしゃな)大仏に寄進した。

上皇の四十九日にあたり菩提(ぼだい)をとむらうためだった。同日に香料・薬品、7月に屏風・毛氈(もうせん)を献納。758年(天平宝字2)6月には王羲之・献之(けんし)父子の書跡、10月に皇太后の父・藤原不比等の真跡屏風がおさめられ、これらは北倉にいれられた。

北倉は勅封といって天皇の許可によって物品の出納が管理されていたが、764年の藤原仲麻呂の乱の際ほとんどの武器・武具類を出庫するなど、以後、平安前期まで宝物の流出がつづいた。

950年(天暦4)羂索(けんじゃく)院から同寺の宝物が南倉にうつされ、南倉は寺院監督機関である僧綱(そうごう)が出納を管理した。のち南倉のうちの重宝が中倉にうつされ、中倉も勅封となって3倉とも東大寺の手ではあけられなくなる。

平安中期以後は時々の流出もとまり、藤原道長ら一部の権力者が特別にあけさせる程度であった。鎌倉時代以降、何度も社会不安・治安悪化にさらされ、倉庫の床に穴をあけられたこともあったが、被害は最小限にとどまった。

1875年(明治8)には南倉も勅封となり、政府の管理下にはいった。現在は、宮内庁正倉院事務所が保存・調査にあたっている。

収蔵の宝物は、1200年間埋蔵されることなくつたえられた、世界でもめずらしい逸品である。それらは、数量の多さだけでなく、金工・漆工など技法の豊かさにおいてもきわだっている(→ 正倉院宝物)。また、約1万点にのぼる正倉院文書は、律令制下の公文書類が法定の保存期間後に反古(ほご)紙として東大寺などにさげわたされたもの。

東大寺では裏面を記録紙として再利用したが、表面は律令国家の事務書類であるため、702年(大宝2)以降約70年の、造東大寺司の関係史料・荘園関係文書、諸国正税(しょうぜい)帳・郡稲帳、戸籍・計帳、計会帳など律令国家の運営実態を知る貴重な歴史資料である。

  正倉院宝物 756

東大寺正倉院に保存される宝物は、756年に光明皇太后が東大寺大仏に奉納した聖武天皇の遺品が中心となっている。宝物の種類は、仏具、武器武具、薬、文書典籍、文房具、楽器楽具、遊戯具、宮中儀式の品、調度品、服飾品、飲食器、工具など多種多様である。中国の唐の遺品をはじめ、インドや西アジアに起源をもつ品々がふくまれるなど、国際性も豊かである。

正倉院宝物の螺鈿紫檀五弦琵琶

  正倉院宝物 しょうそういんほうもつ 

東大寺の正倉院に奈良時代以降保存された宝物。その中心は、聖武天皇の七七忌(しちしちき)である756年(天平勝宝8)6月21日に、光明皇太后によって東大寺の大仏に奉納された聖武天皇の遺愛の品々や、人々の病を救済するために奉納された薬物、752年(天平勝宝4)4月9日におこなわれた大仏開眼会(かいげんえ)に使用された東大寺の什宝などである。

とくに、聖武天皇の宝物は、目録である「東大寺献物帳」によって、その由来を明らかにすることができ、奈良時代の宮廷生活を知るための貴重な資料になっている。

宝物の種類は、仏具、武器武具、薬、文書典籍、文房具、楽器楽具、遊戯具、宮中儀式の品、調度品、服飾品、飲食器、工具など多種多様であり、動物の毛皮や角、鳥や玉虫の羽、貝殻や真珠、木や金属、玉石、ガラスなどのさまざまな素材を、当時の最高水準の技法をつかってつくりあげている。

 「鳥毛立女屏風」「螺鈿(らでん)紫檀五弦琵琶」「木画紫檀棊局」「紅牙撥鏤(ばちる)尺」「銀壺」「銀薫炉」「漆胡瓶」「三彩磁鉢」「白瑠璃碗」などが有名である。象牙、犀角、玳瑁(たいまい)などのインドおよび東南アジア産の素材や、狩猟文、葡萄(ぶどう)唐草文などの西アジアに起源をもつ意匠から、中国唐時代における東西文化交流のありさまをしめす国際性豊かな宝物として、高く評価されている。

正倉院宝物「密陀彩絵箱」

   密陀彩絵(みつださいえ)は、漆地に膠絵(にかわえ)を描いた上に油をひいたもの。この密陀彩絵箱は、丁香(ちょうこう)などをいれた箱で、空想上の動物である鳳凰(ほうおう)とパルメット唐草(忍冬唐草)が躍動的に描かれている。8世紀。正倉院中倉。

銀燻炉

   銀を鍛造(たんぞう)で球形にうちだした高さ20cmあまりの香炉で、切鏨(きりがね)により、宝相華唐草(ほうそうげからくさ)に各1対の獅子(しし)と鳳凰(ほうおう)が透かし彫りされている。球の中央で上下、身と蓋(ふた)にわかれ、身の内側にとりつけられた火皿は、香炉がころがっても水平をたもつような仕掛けがほどこされている。8世紀。正倉院北倉。

漆金薄絵盤

   仏前で香をたく炉盤の台座で、8枚の蓮弁(れんべん)4層重ねられ、中央に半球形の蓮実がおかれている。蓮弁は、黒漆地の上に金箔(きんぱく)、全面または一部金箔がはられ、宝相華(ほうそうげ)、鴛鴦(おしどり)、花喰鳥(はなくいどり)、獅子(しし)、迦陵頻伽(かりょうびんが)などが、細密な文様がのびやかに描かれている。径56cm8世紀。正倉院南倉。