シルクロードの商人 ソグド人

    ソグド人

     ソグド人 ソグドじん Sogd 

中央アジアのサマルカンド、ブハラを中心としたソグディアナ地域に居住していたイラン系民族。中国名は粟特(ぞくとく)。アケメネス朝ペルシャ(6〜前4世紀)1州となったころから、オアシス農耕、牧畜に従事し、東西交通の要所であることを活用して商人としても活躍した。独自の言語であるソグド語をもち、そのソグド文字からウイグル文字がつくられ、のちにモンゴル文字、満州文字の基礎となったといわれる。

ソグド人は本来、ゾロアスター教徒だったが、しだいに、マニ教を信仰する者がふえていった。ソグド人商人の交易の場が、東トゥルケスタン、中国西部、モンゴルなどに拡大していくにつれて、彼らのイラン系文化が、中央アジア、東アジアにひろがった。とくに中国唐代(710世紀初頭)に、首都長安が国際色豊かな都市となるのに、彼らのはたした役割は大きかった。

   ソグド文字 ソグドもじ Sogdian Script 

インド・ヨーロッパ語族に属するソグド人が、ソグド語を表記するために使用した文字。ソグド人は古代から10世紀ごろまで、中央アジアのソグディアナ地方を本拠地とし、商業民として周辺各地でも活躍していたが、その言語ソグド語は、区分上中世イラン語(→ インド・イラン語派)の一方言とされる。ソグド文字は古代オリエントのアラム文字から作成されたとされ、はじめは右から左への横書きで、その後6世紀には上から下への縦書きも出現している。

ソグド文字資料としては、中世ペルシャ語やパルティア語を表記したものもあるが、それらもふくめ大半は敦煌やトゥルファンから発見され、仏教やマニ教、キリスト教に関係する宗教文書が多く、本拠地からのものとしては、サマルカンド東方のムグ山から発見された文書が有名である。時期的にもっとも古いものは、イギリスの探検家スタインが敦煌の西方で発見した古代書簡とよばれているもので、4世紀初めに編年されている。

ソグド人は、中国王朝やモンゴル方面の遊牧民国家内部にもはいりこんでいて、とくに6世紀後半には突厥に経済的・文化的影響をあたえ、ブグト碑文というソグド文字資料をのこした。突厥につづくウイグルの内部でも活躍し、都市建設に関与し、9世紀初頭にはウイグル語ルーン文字・漢語漢字・ソグド語ソグド文字併記の碑文の建立にもかかわった。ウイグル文字はこのソグド文字から作成されたものである。

  ウイグル文字 ウイグルもじ Uyghur Script 

広義のトルコ系民族にふくまれるウイグル人が使用した文字。ウイグル人は、中国の隋や唐の歴史をまとめた書物などに、モンゴル方面にいた部族集団としてあらわれる。唐の前半期は、同じトルコ系の突厥の支配下にあったが、のちに政権をとりウイグル国(744840)となった。

突厥では7世紀前半まで文字がなかったとされ、同世紀末から8世紀にかけて石像銘文や石碑の碑文があり、ウイグル国でも初期に有名な2碑文、9世紀にウイグル語、漢語、ソグド語の3語による碑文がある。しかし、これらの突厥語やウイグル語の表記には古代トルコ・ルーン文字、一般にいう突厥文字が使用された。ウイグル文字は、突厥時代からトルコ系遊牧民国家内部で活躍したソグド人のソグド文字の影響をうけて成立したという。

母音3字、子音14字で母音10音、子音20音をあらわし、右から左へ、あるいは上から下へ書く。史料として、8世紀の可能性もある西北モンゴルのルーン文字・ウイグル文字併記のウランゴム碑文のほか、多くは敦煌やトゥルファンから発見されたマニ教や仏教の文書、契約書など世俗文書で、914世紀ごろに編年される。文書群の言語差は方言とされたが、時代差説も提唱され、対応して文字表記の差異の一部も時代差だという。

ウイグル文字は、のちにモンゴル文字や満洲文字の出現に影響をあたえた。