太古の眠りから覚めた土器

(日本の原始美術・縄文時代U・佐原 真 講談社)

 二千年余りの眠りから覚めたばかりの縄文土器。例えひび割れ壊れていても、水洗いし修復した後でなく、博物館のケースの中でライトを浴びた時でもなく、それを覆っていた土が最初に剥がされた時、土器は最も美しい。

   縄文人の自画像     

 まれではあったが、縄文人は自らの顔・姿を土器の上に表現した。いや、それは土偶と共に彼ら自身ではなく、神霊・祖霊の姿だったのかもしれない。写実に拘らぬ抽象的な装飾的なあしらい、それは、羨ましいほどに大胆で、しかも土器の形・文様と一体化している。

    動から静へ、静から動へ

 後期になると、エネルギー、生命力を讃えられた中期縄文土器から脱皮が始まる。粘土の塊を積み重ねた激しい土器から、線を引き彫り刻む静かな繊細な土器へ。しかし、この静かな土器を作った後期・晩期と呼ばれる時代は、久しく続いた食料採集を基盤とする生活から、食料生産を根底とする生活への飛躍を準備する時代であった。社会は、人々は、大きく揺れ動き始めていたのである。

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    食物を盛る器

 縄文土器に最も多いのは深鉢、これに次ぐのは鉢。数がずっと少なくなるのが次いで浅鉢・皿、それに台を加えた台付き鉢・高杯がある。これらは、主に食物を盛り付けて食事に、祭壇に供せられた。いわば人が使う器、神が使う器、そして、人と神とを結ぶ器であった。

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    裏返して見る皿

 内面に赤い彩文をもつ実例をも含め、東北地方晩期の皿は、全て外面を華麗に飾ってあるので、裏返しにしないと全体の文様は見えない。それに盛られた食物を賞味した後、手にとって底を見る。それは、茶の湯の作法を思い出させる。 皿は最も簡単な食事にも必要と思われるが、世界の古い先史土器には、意外に見られない。縄文土器にも珍しく、次の弥生土器になっても姿を見せない。平らな土器が作りにくいためか、木皿や編み籠、木の葉などに盛り付けるためか。しかし、東北地方の晩期には皿が可也あり、しかも念入りに飾られている。

   @ 高く捧げる器・台付き鉢・高杯 

 鉢・浅鉢・皿に台を取り付けたものは、台付き鉢などと呼ばれている。高杯(たかつき)と呼ぶ人もある。ただし、かなり深い鉢に小さな台を取り付けたものは、高杯に相応しくない。台付き土器の形や器本体と台との大きさの比率は様々であるから、用途も色々考えられる。多分浅い器に台を付けたものは、食物を盛り付けて食事や祭壇に供したものだろう。食事に使う場合は、鉢と同様、共用に違いない。

   A 実用の器、神に捧げる器

 台付き鉢・高杯   東北地方の晩期には、鉢に小さな台を取り付けた台付鉢と皿に台を付けた台付皿とが見られる。前者は煮炊きに使い、煤(すす)で汚れたものが多く焦げ付きを留めるものもある。台を取り付けることによって器体を動かし、器体の底に火熱が直接及ぶことを工夫したのであった。この着想は、後に弥生土器にも台付甕として再現する。又、台付皿はまさに高杯(たかつき)の名に相応しく華やかに飾られている。これは食物を盛り付ければ人の目をも神の目をも十分に楽しませたに違いない。

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    日本的な器

 ここに「歴史は繰り返す」実例がある。世界の先史例・民俗例を見渡しても、土瓶は、日本で固有に発達した形と言えるだろう。それは一度、縄文土器として作られたが、弥生時代には姿を消し、久しく忘れ去られていた。それが江戸時代になって、偶然にも同じ形に再現されたのである。

  @        注ぎ口をもつ器

 縄文土器に、パイプをとりつけて液体を注ぎ出す作りにしたものがあり、形には多くのバラエティがあるので、水の注ぎ口、即ち、注ぎ口を備えた土器ということで、「注口土器」と言う総称が生まれた。しかし、土瓶や急須の形そのものと言ってよいものが多い。

    A 弦をわたす

  弦(つる)を結ぶ為の紐通しを作りつけた土瓶は、南関東地方の後期に一般的で、他の地方ではまれである。弦を渡す方向は、現在の土瓶と同じように縦(注ぎ口と平行)が普通だが、横もあり、南関東地方の後期末では、それが一般的だった。

  B       呪術の器  

鉄瓶の産地は、室町時代以来、南部(みなべ・岩手県盛岡)と決まっている。縄文時代晩期、土瓶の本場は東北地方、特に青森県。弦をつけないで使う点からも、形からも、土瓶と言うより急須と呼ぶ方が相応しい形のものが多い。土瓶に限らず、器種が細かく分かれ、複雑な文様が使い分けられたのは、呪術の支配する社会が用途によって厳密に器を使い分けることを必要としたからであった。 

      蓄える土器

 農民の土器、弥生土器では、壷が非常に多いのに対して、食料採集民の土器、縄文土器には壷は珍しい。特に西日本の晩期では非常にまれだが、東日本には時折見られる。ことに、東北地方では、深鉢・鉢七割に対して壷は1.5から2割を占め、形・文様も変化に富んでいる。

  @        液体を蓄える器

 壷の用途としては、まず貯蔵をあげるのが常である。蓋を備えるもの、それをさらに紐で縛り、結ぶのもあるので、何か蓄えたことは確実である。しかし、高温多湿の日本では、多くの食料の保管には、風通しの良いところに置くのが最適で、容器に入れたりすると変質したり虫がわいたりする。だから壷の中に蓄えるのは、当座の食料以外は、水・酒など水のものが主だったであろう。泉や川から水を運搬すること、食卓や祭壇に液体を供し、それから鉢に分け入れることも、壷の重要な役割であった。

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     用途の不明の変わった土器

 変わった形の土器は、世界の先史例・民俗例に負けないくらい縄文土器にも数々見られる。使い方も分からない不思議なものも多い。用途不明の遺物を、祭り・儀式や信仰と結びつけて片付ける世界の考古学者の「つね」に、今は仕方が無さそうだ。

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