萪内遺跡は、御所ダムの建設によって湖底に水没することになり、これに先立って昭和51年と52〜55年にかけて2度の発掘調査がおこなわれました。その結果、縄文時代後期〜晩期(
4000年から2300年前頃)の遺跡であることがわかりました。 見つかった遺構は、竪穴住居跡52、配石墓壙・貯蔵穴1460、木を使用した遺構(木造遺構)、縄文人の足跡98個です。住居跡や墓壙・貯蔵穴は比較的標高の高いところから、一方、木造遺構と足跡は雫石川側の低い湿地部分(旧河道)から見つかりました。 木造遺構にはえりや階段状の杭列、水汲み場・洗い場と考えられる施設があります。えりとは、川などに設置される、漁のための「わな」で、魚の習性を利用したつくりになっています。これらの遺構から、萪内の縄文人は川をたくみに利用し、その恩恵を受けながら生活していたことが想像されます。
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