和田峠・黒曜石の故郷

 和田峠 わだとうげ 長野県中部、和田村と下諏訪町の境にある峠。筑摩山地南部の鷲ヶ峰と三峰山の鞍部に位置し、中山道の難所として知られた。現在、峠下を国道142号の新和田トンネルが通じている。標高1531m

  II  歴史

峠付近は黒曜石の産地で、中部、関東地域にある旧石器時代や縄文時代の遺跡からここの黒曜石でつくられた石器が多数みつかっている。中山道のこえる峠の中ではもっとも標高が高く急峻で、冬季の積雪は3m以上にも達する。江戸時代の峠は現在の峠より北西約500mの所にあり、古峠と称する。峠をはさんで和田宿と下諏訪宿の間は約21kmもはなれていたため、道中には施行所や避難所が設置されていた。幕末には皇女和宮が降嫁のために大行列でこの峠をこえ、また、天狗党の乱の一舞台にもなり、水戸藩士の墓が浪人塚として今ものこる。明治期には諏訪地方で生産される生糸の輸送でにぎわい、諏訪製糸工場へはたらきにでる多くの女工たちがかよった。このころ、2度にわたる峠道の付け替えがおこなわれ、現在の峠が開削されている。明治末期、中央本線の開通で峠道は一時衰退するが、道路の舗装、南方の新和田トンネルの開通によりふたたび交通路の機能をとりもどした。

  III  観光

和田宿の手前から古峠にいたる旧中山道は本陣屋敷、一里塚、施行所などが復元保存され、歴史の道として国の史跡に指定されている。黒曜石は、アクセサリーなどに加工され土産物として販売されている。尾根沿いのハイキングコースは富士山、浅間山、飛騨山脈(北アルプス)などの眺めがたいへんうつくしい。峠上の国道142号から南北に分岐して、美ヶ原と霧ヶ峰をむすぶビーナスラインがはしる。近くに和田峠国設スキー場がある。

   下諏訪町 しもすわまち 長野県中部、諏訪郡北西部の町。西は岡谷市、東は諏訪市、北は松本市に接し、南は諏訪湖に面する。和田峠などのある北部山間地は八ヶ岳中信高原国定公園(やつがたけちゅうしんこうげんこくていこうえん)にふくまれ、諏訪市にまたがる八島ヶ原高層湿原(→ 高層湿原)などには国の天然記念物の霧ヶ峰湿原植物群落がみられる。その山々を発した砥川(とがわ)や承知川の扇状地に市街が発達し、北端に諏訪大社の下社(しもしゃ)春宮が、東端に秋宮がある。1893(明治26)町制施行。面積は66.90km2。人口は23319(2003)

和田峠から産出される黒曜石の石器が先土器時代からつくられ、竪穴住居(たてあなじゅうきょ)の発見された東山田小田野駒形遺跡があるのをはじめ、青塚古墳には7世紀の築造とされる前方後円墳がある。古く「古事記」にもみえる諏訪大社の下社の門前に町が形成された。国指定の重要文化財である現在の社殿は、1780(安永9)築造の春宮、81年築造の秋宮の幣拝殿および左右片拝殿は豪華な彫刻のほどこされた壮麗なものである。また秋宮の銅印や太刀なども国の重要文化財であり、貴重な蔵品も多い。むきあうようにおかれている諏訪市内の上社とともに、寅(とら)と申(さる)の年の45月には境内の神木の立て替えにともない、木落しなど御柱祭(おんばしらまつり)の一連の勇壮な行事がつづく。毎年の例祭は8月に御舟祭がおこなわれる。また、江戸時代には中山道と甲州道中の合流地点に下諏訪宿がおかれ、温泉もありさかえた。街道沿いの本陣岩波家、歴史民俗資料館、旅籠(はたご)風の温泉旅館などが当時の面影をしのばせる。

20世紀前半には製糸業で発展し、第2次大戦後は精密工業の町としてカメラ、オルゴール、時計をはじめ電子機器関連産業が立地する。近年は近隣自治体と諏訪テクノレイクサイド機構をつくり、先端技術工業の振興につとめている。さらに町の精密機械にちなむ諏訪湖オルゴール博物館「奏鳴館(そうめいかん)」や時の科学館「儀象堂(ぎしょうどう)」が開設された。諏訪地方出身の歌人島木赤彦の記念館を併設した諏訪湖博物館、素朴派の作品を展示するハーモ美術館など文化施設も多い。

    美ヶ原 うつくしがはら 長野県のほぼ中央部、松本市の東方、諏訪市の北方にある高原。王ヶ頭(2034m)、茶臼山(2006m)など周辺の標高2000m前後の地域をさす。一般に美ヶ原高原ともよばれる。深田久弥の「日本百名山」のひとつ。

溶岩や火山灰などの噴出物が堆積(たいせき)した火山性の地質からなり、後に隆起し浸食をうけた平坦面が美ヶ原である。最高地点の王ヶ頭からの眺望は雄大で、浅間山・八ヶ岳・南アルプス・中央アルプス・北アルプスをのぞむことができる。

王ヶ頭と物見石山の間には美ヶ原高原牧場が広がり、周辺にはホテル・国民宿舎・美術館などが立地している。また、牧場内には遊歩道が整備され、ニッコウキスゲの群落をみることができる。八ヶ岳中信高原国定公園にふくまれ、美ヶ原から国道142(旧中山道)の和田峠をへて霧ヶ峰・白樺湖をむすぶビーナスラインが通じる一大観光エリアとなっている。西麓(せいろく)の松本市郊外には浅間温泉・美ヶ原温泉などがあり、美ヶ原観光の基地となっている。

美ヶ原の雄大な景観は、尾崎喜八の詩「美ヶ原溶岩台地」に描写されている

   霧ヶ峰 きりがみね 長野県中央部、諏訪盆地の北方にある火山と周辺の高原地帯。標高1925mの車山を主峰とし、北西方向に鷲ヶ(わしが)峰・三峰(みぶ)山などの霧ヶ峰火山がつづく。標高16001800mの広大な高原は霧ヶ峰高原ともよばれ、八ヶ岳中信高原国定公園にふくまれる。

 霧ヶ峰とニッコウキスゲ霧ヶ峰の周辺は上昇気流が盛んなため、文字どおり霧が頻繁に発生することで知られる。八島湿原、車山湿原などの高層湿原地帯には湿原植物群落があり、一帯には自然遊歩道も多くつくられている。JTBフォト/辻友成  

   II  地形と植生

形成当初は円錐(えんすい)形の火山だったが、のちに山頂部がうしなわれ、中腹以下の緩傾斜部が高原となってのこっている。フォッサマグナに近接し、東西方向の圧縮応力がはたらいているため、断層変異地形がみられる。車山北斜面から鷲ヶ峰にかけて西北西にのびる崖(がけ)は、右横ずれ断層の活動によって生じた断層崖(がい)である。

車山周辺はかつてはモミ・ツガの亜高山帯林が自生していたが、牧場・採草地として開発されたため現在は草原が広がり、ニッコウキスゲなどが繁茂する。八島湿原は泥炭層が数メートルの厚さに堆積(たいせき)しており、霧ヶ峰湿原植物群落として国の天然記念物に指定されている。

 III  開発と観光

深田久弥は「日本百名山」で、霧ヶ峰を「遊ぶ山」と評した。近世以降牧場として利用されてきたが、昭和初期にグライダーの練習場が設置された。のちにスキー場もひらかれ、観光集落として強清水(こわしみず)が開発された。蓼科(たてしな)湖や白樺湖から霧ヶ峰をへて美ヶ原をむすぶビーナスラインがとおっており、年間を通じて観光客をあつめている。冬季は晴天がつづき、車山スキー場はシーズン中の晴天率が高い。

  IV  歴史

八島湿原に隣接して旧御射(もとみさ)山という小さな丘がある。ここには鎌倉時代に演武場がつくられ、源頼朝が狩座(かりくら)をもよおしたという記録がつたえられている。現在でも階段状の桟敷(さじき)席の跡が草地の中にのこる。

   和田村 わだむら 長野県中東部、小県郡(ちいさがたぐん)南西部の村。西は松本市、南は諏訪市に接する。西に美ヶ原や和田峠があるほか周囲は山でかこまれ、森林が村域の約90%を占める。美ヶ原に源をもつ依田川(よだがわ)が村の中央部をながれ、その流域に耕地や集落がある。川沿岸では稲作、山麓(さんろく)では花卉(かき)、野菜、エノキダケなどを栽培する。1889(明治22)村制施行。面積は87.81km2。人口は2504(2003)

黒曜石の産地である和田峠付近には、和田峠遺跡や男女倉遺跡(おめぐらいせき)など、旧石器時代の遺跡群がある。江戸時代には中山道の難所でもあった。南木曽町にかけてのこる中山道は国史跡に指定され、和田宿本陣、旅籠(はたご)の建物を復元利用した歴史の道資料館など、町並み保存につとめている。峠の南に1978(昭和53)新和田トンネルが開通して諏訪湖方面に接続したのにくわえ、南方の白樺湖や霧ヶ峰と美ヶ原などをむすぶ自動車道ビーナスラインがはしる村の西部一帯は、八ヶ岳中信高原国定公園にふくまれる。

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