稲作の起原

7粒のコメに世界が注目

7粒の米に世界が注目

中国・長江流域 玉蟾岩遺跡で発見 

 稲作はいつ、どこで始まったか。  中国の長江(揚子江)流域の遺跡から見つかった炭化した米粒に世界から注目が集まっている。中国側の専門家は一万二千年以上前の栽培米と推定し、稲作の起源につながる可能性が高いと見ている。(白石寒村・中国湖南省)=塚本 和人

稲作起源は一万二千年前?

 炭化米が見つかったのは、湖南省南部の道県白石寒村にある玉蟾岩遺跡。

 長江支流の流域で、盆地内にあるカルスト地形(カルスト地形 カルストちけい Karst Landform 岩石が化学的な溶食作用をうけて、地表面に固有の起伏が生じたり、地下に洞窟などの特殊な地形群が穿(うが)たれたり、さらに溶解成分が水の流路にそって析出して固有の堆積(たいせき)地形をつくったりする。こうした現象がおきている地形群全体を総称してカルスト地形という。

カルスト地形を発達させる典型的な岩石は、炭酸カルシウムを主体とする石灰岩である。日本でカルスト地形の発達が顕著なのは、山口県の秋吉台、広島県の帝釈峡、岡山県の阿哲台、福岡県の平尾台などである。

日本の石灰岩は、たとえばヨーロッパの層状に発達した石灰岩にくらべて、一般に炭酸塩の純度が高く、塊状のものが多い。これは、日本の石灰岩のほとんどが、かつて海中にあったサンゴ礁などをつくっていた礁石灰岩が付加されてできたものに由来するからである。さらに日本のカルスト地形は地殻変動の影響を強くうけているため、カルスト地形の変形がみとめられる。).の岩山の洞窟内ある。洞窟は入り口部分が幅約12m、奥行きは約6m、高さは約3mに及ぶ。

玉蟾岩遺跡が岩山・鉄格子のある部分が洞窟の入り口

 同省文物考古研究所の袁 家栄所長によると、昨年11月、地表30100cmの土中から長さ7_程度の炭化米7粒を発見した。内2,3粒は形が崩れていないという。

 この遺跡の年代は一万二千年以上前とされる。土器片の付着物などを北京大が、土中の炭片を米ハーバート大が、ともに加速器質量分析法(AMS)で測定した結果だ。氷河期が終わり地球が暖かくなる時期。日本では縄文時代の開始期に当たる。

 93年と95年にも計4粒の籾殻が出土しているが、サンプルが少ないなどの理由で、年代測定はしていない。ただ、籾殻の形状は野生種と栽培種の特徴、ジャポニカ米とインディカ米の特徴をいずれも併せ持ち、栽培への過度期に当たると見られる。

籾殻

 遺跡周辺には湿原が広がり野生のイネ科の植物が自生する。北緯25度で、野生のイネの分布範囲の北限にあたる。袁所長は「野生種の分布の辺境で、温暖化が進む中、人口圧力と食料不足などが原因で野生種から選択してイネの栽培を始めたのではないか」と分析する。

 同研究所は昨年、遺跡の調査チームを組織した。ハーバート大を中心に考古学や地質学、農学の専門家が外国からも参加。炭化米の年代を測定するほか、土中から見つかったイネのプラントオパール(イネ科の植物に含まれるガラス質細胞の微化石)分析を実施する計画だ。耕作地があった可能性もあり、土中の花粉を分析し、当時の植生の調査も続けている。

 近年、長江の中・下流域では4千年前よりさかのぼる稲作関連の遺跡が計200ヶ所近くで見つかっている。現時点で稲作が確実視されるのは彭頭山遺跡(湖南省)で見つかった炭化米を測定した約8600年前。仙人洞遺跡(江西省)や吊桶環遺跡(江西省)からは一万五千年前のプラントオパールが見つかったが、野生種か栽培種かは不明。

 一方、麦作の起源は欧州の研究者によると西アジア発祥で、約一万二千年前に遡るとする説が強い。

 調査チームの中国側代表をつとめる厳 文明・北京大学教授は「農耕の起源は文明の起源につながり、中国や海外の考古学界は稲作の起源に注目している。玉蟾岩遺跡で見つかった炭化米からは、科学的な様々な調査分析を通じて多くの手がかりが見つかるはずだ」と期待している。

 日本では縄文時代の可能性

 稲作は中国の雲南省からインドのアッサムにかけての地域で五千年ほど前に始まったとの考えが、かつては有力だった。栽培に適した気候の特性に加え、この地域に多様な野生イネが存在することが根拠だった。

 長江流域が脚光を浴びるようになったのは浙江省・杭州湾南岸の河姆渡遺跡の発見がきっかけだった。七千年前の遺跡とされ、多量の米粒や稲作の道具が発見された。調査が文化大革命の時期に当たる70年代だったため、80年代の半ばまでこの発見はあまりしられることはなかった。

 河姆渡よりさらに古い稲作の痕跡は、長江中・下流域で80年代に相次ぎ発見され、畑作を中心にした「黄河文明」に対して、稲作に支えられた「長江文明」が存在したとの考えを生み出した。

 90年代になると稲作の起源が一万年を超えることを示す遺跡が確認された。その中でも、玉蟾岩は最も早い段階の遺跡として注目されてきた。

 日本での稲作の起源も見直しの過程にある。日本列島には野生のイネはなく、大陸から伝わり弥生文化として広まったと考えられてきた。しかし、縄文時代の遺跡からイネが存在した証拠が見つかり、縄文時代にも食料となっていた可能性が強まっている。一方で、栽培の方法や規模を巡っては様々な考えが示されている。(渡辺 延志)
(2005年・平成17年5月24日朝日新聞)