墓を暴く!

 墓を暴く(「飛鳥とは何か」梅原 猛著、抜粋)

   飛鳥には、多くの古墳がある。しかし、その被葬者の分っているのは、極僅かで、天皇陵は、一応比定されているが、それとても確実ではない。

  石舞台古墳は、日本の古墳としては珍しく石室が露呈している。やはり、人為的に行なわれたことではないかと思う。古代日本人にとって、古代中国人にとってと同じく、墓を暴くことは、その死者に対すると共にその死者の子孫に対する最大の侮蔑(ぶべつ)を意味している。恐らく、蘇我氏の滅亡の時、この馬子の墓が暴かれたのであろう。

  人間というものは、権力者に服従しても、その権力者が一旦権力を失った時、かえって、その失脚した権力者に対して残酷になるものである。恐らく、蘇我氏を滅ぼした中大兄皇子の一味は、蘇我の最大の権力者、馬子の墓を暴かせたことにより、民衆の間に長い間タブーとなっていた蘇我氏の絶対的権力に対する否定の行為を、自らの手によって行なおうとしたのであろう。石舞台古墳発掘の時、石棺のかけらが出てきたが、その石棺は粉みじんに裂かれていたという。馬子の墓を暴き、その石棺を壊すこと、恐らく、その積年の氏族制度の幣を打ち壊し、天皇親政の大化改新を行なう祭りのようなものであったろう。

   鬼の雪隠・鬼の俎とか言われるものも、私は、暴かれた古墳ではないかと思う。この鬼の雪隠・俎は明らかに、セットである。鬼の俎は、横口式石棺の底石である。鬼の雪隠は、その側石と蓋石を一つの石で作ったもので、鬼の雪隠を俎に重ねると、見事な横口式石棺が出来るという。しかも、この石棺の大きさは、大化改新の「薄葬令」(網干教授の説)に決められた貴人の石棺の大きさに符号するという。すると、この古墳は、大化改新以後に造られたということになるが、何故この古墳は、石棺が露呈され、更に、その底石と蓋石とが離れ離れになってしまったか。明らかにそれは、人間の力によってであるが、どうして、ことさらにこのような古墳を露呈させ、しかも、底石と蓋石とを離れ離れにする必要があるのか。私はやはり、この古墳も、その子孫が何らかの罪にふれ、その罪、祖先に及んで、遂にその墓が暴かれた古墳ではないかと思う。 暴かれた古墳の時代は、明らかに大化改新以後、その子孫の罪によって暴かれたと思われる。この古墳の被葬者は誰なのであろうか。

  この古墳を、鬼の雪隠・鬼の俎というのは、ただ形によってのみ名づけられたのではあるまい。やはりそこには、鬼即ち亡霊の連想があるのである。こういう子孫の罪によって、その奥津城(おくつき)まで壊された個人の霊が、夜な夜な、この雪隠・俎に現れなかったであろうか。

  既に、仏教文化の影響をうけ、日本の生と死に関する考え方が変わろうとしていた。日本人は三世紀末以来、数世紀にわたって古墳製造に努力してきた。この時代の日本の王の最大の仕事は、前代の王の墓を作ることにあったように思われる。これは、一つは権力の示威のためであるが、もう一つは、不死の観念ゆえである。古墳に人間の骸(むくろ)を埋葬しておけば、いつか、また生き返るときがある。古墳は再生の願いを持って造られている。

  しかし、このような、再生の思想は、仏教によって根本的にゆすぶられている。若し、全ての人間が無に帰するとするなら、何故その肉体を保存する必要があるか、また、仏教においても、浄土教は、死後極楽浄土に行くことを説くが、この場合も、その死者は、その骨に肉をまとって、極楽に行くのではない。 いずれにしても、巨大な古墳に屍を保存するのは、無用なことだ。丁度四世紀のエジプトにおいて、キリスト教がミイラ崇拝を絶滅させたように、八世紀の日本において、仏教は古墳信仰を終息させたのである。

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