
日本の深層文化・ブナ帯に生きた人々の世界
山川草木悉皆成仏・循環を宇宙の摂理とする世界観(梅原猛)
人間から世界を見るのではなく、世界の大きな循環の中で人間を見る世界観なのである。
ブナ帯文化と関係ある世界観。
落葉広葉樹林は、冬にはすっかり枯れた樹木が春になると芽をだし、それが鬱蒼とした緑の葉となり、そして実を付けて秋に落ちていく。一つの樹は一年の間に生死を繰り返すのである。
古代人にとって太陽は、決して地球の周りを回っているものであるとすら考えなかった。 太陽は東から出て西へ没する。古代人には、太陽は日々その日に死ぬと考えられているのである。一度死んだ太陽は再び翌日の朝、東から生き返る、つまり、太陽が生きて又死んでいく、それが一日になるのである。
したがって一日一日が生と死の循環なのであり、一年一年も又生と死の循環なのである。
古代人にとって円はただの円ではなく、円は生と死のシンボルなのである。又、柱はただの木ではなく、地上と天を結ぶものである。白木の柱を見て日本人は感動するが、その白木の柱が天と地を、つまり地上の世界と神の世界を媒介する聖なるものであった。地の霊は柱を使って天に昇り、また天にある霊は柱を伝わって地に降りる。
一日一日が生と死の循環であり、一月一月が又月の生死という循環であり、一年一年が太陽の生死という循環なのである。そして、人間の霊も又そのような循環の摂理に従って死の後に故郷である天に帰り、そして何時のときか又、その霊は再び地上に現れて子孫となって生まれ変わるのである。
日本人はしかし、天と地の循環運動を、人間における死と生の循環にのみ限ろうとしなかった。祖先の霊は正月やお盆、お彼岸に子孫のもとにやってくるのである。その霊たちは子孫によって暖かく迎えられ、ある期間の間大切にあがめられ、又天に帰っていく。天と地との、神の世界と人間の世界との循環がたえず行われているのである。
このような宇宙の摂理を循環と考える捉え方は、やはり旧石器時代に行われた考え方と考えざるを得ないのである。
それは人間と動植物を全く区別しない同じものと考える世界観なのである。
人間から世界を見るのではなく、世界の大きな循環の中で人間を見る世界観なのである。
日本の基層文化としての縄文文化
日本の基層文化を縄文文化におき、弥生以後の日本文化も又この縄文の基層文化である縄文文化に大きな影響を受けたが、この日本の縄文文化は日本の周辺、とくに東北日本の文化に、なかんずくアイヌ文化に残っていると見られる。
東北は文化のはつるところ、雪に埋もれて生産力も低く、なんら見るべき文化を持たないところと考えられてきた。ところが、東北地方には縄文文化の遺跡が素晴らしいことによっても、この東北地方こそ、かつて最も高いかつ豊かな狩猟採集文化、即ち縄文文化の栄えたところであると考えられる。
今もなお東北地方に残る様々な風習のなかには、かつてこの地で栄えた華麗な文明の名残りを留めるものが多いのである。
東西日本の生産力の逆転・農業革命
紀元前三世紀から紀元後三世紀に至る西暦起源をはさんで600年の間に、日本は大きな革命を行った。それは農業革命とも言うべきものであり、恐らく、中国の揚子江沿岸から朝鮮半島の南部を経て伝わってきたろうと思われる水稲稲作の生産が、日本に大きな生産力の革命をもたらしたのである。
それは恐らく、百数十年前から現在に至る工業革命に比すべき大革命である。その革命によって、すっかり東日本と西日本の生産力が逆転したのである。
縄文時代においては、東日本で人口の90%は東日本にあったという。それは、東日本が西日本より遥かに狩猟採集時代の人間が生活する土地(落葉広葉樹林帯)として有利だったからであろう。
しかし、その関係は弥生時代においてはもはやそのまま維持されることはできない。広大な平原を豊かな水と共にもっている筑紫平野や河内平野など、今まで最も生産力の低かった土地が最も豊かな米を産出する土地となってしまったのである。
こうして日本が水稲稲作の農業地域となり、そこで初めて国ができ、その国々が合併され、やがて天皇の下に統一される日本国が生まれるのである。
それゆえ、この農業をもった弥生民の渡来と、その弥生民の子孫による日本の支配征服をもって日本の国の初めとして、日本の歴史を考えた。
これはおのずから、アマツカミ(天津神)の子孫が高千穂という九州の一画に高天ヶ原から降りてそこでしばらく滞在し、やがて大和の中央を征服するという、かの神武天皇神話と相通ずる史観である。
「記・紀」を読むと、アマツカミはおのずから外国から渡来した農耕民を指し、クニツカミ(国津神)はそれ以前から日本に土着した狩猟民を指すことがわかる。
記紀神話は、クニツカミである土着民を、アマツカミ即ち外来者である農耕民が支配征服し、この支配にクミツカミが喜んで服従し、アマツカミ自ら征服されたクニツカミの鎮魂を行うというストーリーによって、ひそかに日本の成立の事情を語るのである。
今までの殆ど全ての日本論は、意識的あるいは無意識にこのような記紀神話の枠にとらわれていたのである。
日本人の祖先を農耕民としておき、その渡来した農耕民の長である天皇家こそ永遠に日本の支配者であるという考え方をどこかに持っているのである。
深層の文化となった縄文文化
日本の文化を弥生文化即ち稲作文化からのみ考えるのはいささか近視眼的である。
稲作農耕文化は確かに一つの日本文化を形成しており、西暦紀元ころに縄文文化と入れ替わり、日本の主流文化になった。それはやはり日本の支配者の文化なのである。確かに、稲作農耕民が日本の国家を作り出し、農民を基盤として日本の国家はつくられた。そして稲作農民でない人間、とくに稲作渡来以前の日本の土着民である狩猟採集民は、このような国家体制の中で最下層に置かれ、ややもすれば支配の枠からはみ出るという有様であった。
しかし、そのような非稲作農耕民の文化は決して弥生時代以後消滅したわけではない。むしろ、社会の下層にいる被支配者の文化として強く生き残り、かえって支配者の文化に大きな影響を及ぼした。その底流をなす被支配者の文化は、支配の力が弱まると突如として文化の表層に噴出し、かえって支配者の文化を支配したりしたのである。
日本の文化を考えるとき、表層にある支配者の文化即ち稲作農耕民の文化以上に、この深層にある非稲作農耕民即ち狩猟採集民の文化に注目しなくてはならないと考える。
縄文文化を育んだブナ帯
照葉樹林は西日本に多いが、その照葉樹林の多い西日本は縄文時代において、はなはだ遺跡も少なく、むしろ過疎地帯であった。縄文文化が栄えたのは東日本であるが、東日本には照葉樹林が少ない。
縄文文化論を十分に展開するためには、照葉樹林よりブナ、ミズナラに代表される落葉広葉樹林=ブナ帯に注目すべきである。
ブナ林は東日本に多く、それは縄文の遺跡のある所に多いという。ブナ林を初めとする落葉広葉樹林の果実は恐らく旧石器時代から人類の食料として大きな役割を果たしてきた。このブナ帯を背景にした日本の旧石器時代以後の文化は、如何なる性格を持っていたのだろうか。
その生活環境について、今後多くの科学者によって明らかになってくるのであろうし、そのブナ帯文化に生きる人間の世界観なのである。
アイヌに残る熊送りの行事、縄文時代の人間の世界観を解く最も大きな鍵を与えるのである。
動物の霊ばかりか植物の霊もおなじである。植物もまたあの世では人間と同じような生活を営んでいるのである。その霊が地上にやってきてあの巨大な樹となるわけであるが、その樹もやはり巨大なミャンゲを持って人間世界を訪ねる賓客ともいえる。アイヌは一本の樹を切り、「どうかこの樹をください。これでもって私は家を造りますから」と祈りを捧げて、その樹の命を貰うという。
このような考え方が、日本人の思想の根底を流れているわけです。
有名な「山川国土悉皆成仏」という言葉は、人間ばかりか全ての動植物から山川国土までも仏になれるという考え方そのものは日本でできたものであると思われる。
インドで生まれ中国で発展した仏教思想の日本的展開であるが、この日本的展開を可能にしたものは、縄文時代以来の伝統的な考え方であったのではないかと思われる。
日本では、というより人類は、狩猟採集時代においては、人間を他の動植物と区別する考えを持っていなかったのであろう。 人間を他の動植物と区別して、人間には動植物を支配する権利があると考えるようになったのは、農業や牧畜が始まってからであろう。
農耕牧畜文明は人間中心の世界観を生んだ
和辻哲郎の著書「風土」、東アジア世界をモンスーン地帯と考え、その思想をモンスーン地帯の思想と捉え、それを砂漠地帯にその基盤をもつ西洋思想と対比させて考えた。このような考え方は、森林がいつまでも残り、狩猟採集生活様式が後々までも行われた東アジアの世界と、農耕と牧畜によって森林を食いつくし、砂漠に生きざるを得なかった牧畜農耕民の文化の対立からくると言ってよいかもしれない。
西洋思想の二つの根源と言われるギリシャ文明においてもイスラエル文明においても、人間は、神によって自然支配の能力即ち理性を与えられた特権的動物と考えられているのであり、そこには、先ほどのアイヌの宗教や、日本的に変容された仏教の思想に含まれるような、人間と動物或いは植物を本来同一のものと考える思想は無い。
それははっきりと人間と動物の間に強い線を引き、動植物を完全に人間の意志によってコントロールしょうとする思想を秘めているのである。
この農耕牧畜によって既に始められた人間の自然支配の運命は、工業文明の登場によって一層拍車がかけられ、人間はいまや科学技術の力によって自然を切り拓き、それを自分の住むのに都合の良いように変えていくのである。
今まで青々とした木々に覆われていた森がたちどころに切り採られ、そこに巨大な耕地が生まれたり、巨大な町が造られたりするのである。それを防げる全ての動物や植物を、彼ら人間たちは、あたかも自分たちの支配に抵抗する敵を倒そうとするかのように、容赦なく絶滅させていくのである。
こうした人間の自然支配は、農耕牧畜時代から工業時代に移って加速度的に進んだといえる。
人間は自然を支配して自らの墓穴を掘る
20世紀の初めになって、このような文明の将来にいささか不安を抱く人が出現し始めたのである。
いったい近代文明はどこへ行くのだろうか。人間は自然を征服することによって、むしろ自分の生ける地盤を失ってしまうのではないか。 人間による破壊がどんなに恐ろしい運命を生むか。
20世紀の初めに一部の思想家によって予言された世界の運命は、20世紀後半に徐々にその恐るべき姿を現し始めたように思われる。
今、世界の各地で少しずつ地球の砂漠化が進んでいるという。緑の面積はますます少なくなっているという。その原因をある科学者は雨量が少なくなったことに求める。
もしそうだったら幸いであると思われる。地球の砂漠化というものは、農耕牧畜文明以来の人間文明の発展の恐るべき帰結の一つの現われではないだろうか。長い間かつて、人間が行ってきた地球の私物化という罪業が今日徐々に姿を現し、やがてそれが次の世紀の恐るべき運命となるのではないだろうか。
今日、世界の人々の前に、徐々にこの恐ろしい人類の運命がその兆候を現し始めているように思われる。
勿論まだ、現代文明の恩恵をあまりに多くこうむっている人たち、特にいわゆる先進国の人たちはその運命はよくわかっていない。しかし、それがはっきりと全ての人間の眼にとまるようになったら、もうどうしょうも無いかもしれない。
我々は今のうちにその危険を塞げねばならない。その為には、やはり文明の転換が必要である。
縄文人の世界観で現代文明の再検討を
日本の文明を遡り縄文文化に至り、その文明の原理を深く考察するとき、東西の人類の思想がまだ殆ど変わりなかったと思われる旧石器時代の世界観に至ると思う。
即ち、一度人類の文明をその発生のときから考え直さねばならない。狩猟採集の文明から農耕牧畜の文明への転化、それは確かに生産力の増大であり、その意味で文明の進歩発展であるに違いない。しかし、同時にそのような農耕牧畜文明の誕生と共に、人類は、はなはだ重要な世界観を失ったのではないかと思う。それは、人間を本来動物や植物と同じものと考える世界観である。
農耕牧畜生活においてはやはり人間が中心にある。人間は自己中心にして世界を支配するという考え方を持つことによって、人間は飛躍的な変化を遂げたが、或いはそれが地獄へと一直線に進む恐るべき道であったかも知れないのである。
この恐るべき力を発揮する科学技術による自然支配或いは自然破壊という人類の運命を食い止めるには、もう一度人類の文明をその根底から反省し、その文明の方向を転換しなければならない。
その治療薬として、日本に伝わる縄文文化の伝統がある程度の有効性を持つのではないかと思われる。
農業の伝来が遅く、牧畜が殆ど無かった日本においては、いつまでも狩猟採集文化、縄文文化の影響が強かったのである。それがアイヌの宗教のみならず、多くの日本人の心に存在し、仏教の思想すら日本流に変更してしまった。我々はその文明の伝統を思い出し、そのような文明のもとに新しい科学技術のあり方を考えねばならないのである。
進歩の歴史は破滅への道
我々は人間中心の世界観とともに、その直線主義的な歴史観を克服せねばならない。人間は自分の意志に従って、歴史を、或いは進歩、或いは退歩の歴史と考えるであろう。しかし、それらは全て迷妄かもしれない。
もう一度人間の運命を、人間からではなく宇宙の方から考えなければならない。人間が神によって動物と違った理性を与えられ、全ての動植物を支配し或いは殺害する権利を持っているなどと思うのは、やはり人間の思い上がりであろう。
はなはだ合理的にすら見える迷妄は、むしろ、動物はミヤゲを持って人間のところへやってきた(アイヌ神話)という、現代人から見ればはなはだ非合理的に見える思想にとり、自然にとっても或いは人間にとっても、はなはだ危険な迷妄なのであろう。
前者は人間と動物を全く違ったものであると考える。従って、動物の命をとるのに何の良心の呵責もおぼえない。後者には人間と動物とを本来同じものと考えるために、いささか滑稽に見える哲学によって、動物を殺さねば生きていけない人間の運命のアポロジーを行う良心が存在しているのである。
もういい加減に人類は進歩などという迷妄を捨てた方がよい。確かに、科学技術によって人類は多くの恩恵を与えられ、生活も飛躍的によくなった。今後も科学技術は人類に恩恵を与えるであろうが、それが果たしてすぐに人類の進歩だと言いうるのであろうか。何が幸福か、何が不幸か、長い目で見るしか人類の運命はわからない。
近代人が進歩という名でよんだ歴史は、ひょっとしたらそれは大いなる破滅への道であったかもしれない。大きな自然の循環のなかで生きる知恵を、人間は再び自分のものとしなければならないであろう。
日本文化の基層にあるブナ帯文化は、ただ物質文明の問題のみならず、それは同時に精神文明の問題なのである。
その文明の問題を深く考えるとき、ブナ林の生死(森林破壊)も決して今日の人類の生死と無関係ではないことがわかるであろう。
ブナ林を守るという運動は、同時に今後人類の生存にとって最も必要な思想を取り戻す運動でなくてはならないのである。
(ブナ帯文化・日本の深層文化 梅原 猛 抜粋)